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1. Newtonという実験 — 夢と限界の間で

90年代初頭、アップルが発売した 「Newton MessagePad (Newton) 」 という製品をご存知でしょうか? ペン入力できる電子手帳のような製品です。 実は私が野村総合研究所でコンサルタントだった当時、この製品 開発プロジェクトに極秘で少しだけ関与していました。 

 

70年代の終わりから80年代前半のアップルはパーソナルコンピューターの概念を確立さ せたイノベーターでした。 一気に成長軌道に乗ったのもつかの間、 アップルはIBMが生み出したPCとその 互換機、およびマイクロソフトの連合軍に行く手を阻まれます。 

 

ジョブズはペプシコーラのCEO(最高経営責任者) だったジョン・スカリーを1983年にスカウトし、 社長に据えて会社を建て直そうとしましたが、その彼がジョブズを追い出してしまったのは有名な話です。 1985年のことでした。 

 

Newtonの開発が始まったのはジョブズが去った後の1987年です。 Newtonは当時まだはやり始めたばかりの電子メールとスケジュール管理、 連絡先とメモ帳、電卓など の機能を持っていました。 最大の特徴は音声電話回線に接続して使う通信機能とタッチパネルを使ってペ ン入力ができる入力インタフェースでした。今考えると 「iPhone」 の原型だとも言えそうです。 

 

Newtonはアップルの戦略商品でした。スカリーはNewtonの小型化・高機能化のために日本の電機メー カーとの提携を考えました。 様々な提携先候補から選ばれたのが当時、 電子手帳などで実績があった シャープでした。 

 

難産の末にNewtonが製品化されたのは1992年でした。 製品化にあたり、液晶やタッチパネルといった シャープのデバイス技術が大きな貢献をしたことはもちろんです。 しかし何しろ90年代初頭です。 当時は まだ様々な面で技術がAppleの要求水準に達していませんでした。

 

Newtonの通信機能は今考えると貧弱なものでした。 非接触ペンで入力するインタフェースも、慣れる まで相当苦労する代物でした。 インターネットの商用化もまだまだ始まったばかりで、 豊富なコンテンツ は存在しません。 いきおいNewtonの使い道は限られたものにならざるを得ませんでした。 ジョブズを追 い出したスカリーはNewton発売後の93年にアップルを去りました。 

2. マイクロソフトの勝利 — エコシステムという武器

アップルがNewtonの製品化に苦労している間に、マイクロソフトは 「Windows 3.0」 を爆発的にヒッ トさせました。 そしてアップルからスカリーが抜け、 経営の方向性を見失っている間にパソコンの市場で 足場を固めてしまいました。 そして1995年の 「Windows 95」 の製品化で、アップルとの 「GUI戦争」の 行方は決定的になりました。 

 

マイクロソフトの戦略はソフトウエア開発の企業や大手のユーザーを味方につけること。 当初は劣勢 だったGUI技術の格差をユーザーの支持で埋める作戦です。 垂直統合の自社製品で完結しようとしたアッ プルに対抗して、Windowsの 「エコシステム」を作ったわけです。 

 

より多くの味方作りに成功したマイクロソフトはアップルを市場から締め出しました。 パソコンとネッ トワークを牛耳ったマイクロソフトの時価総額が世界最大になったころ、 アップルは業績不振でマイクロ ソフトの出資を受け入れました。 

3. ジョブズの復帰 — iPhoneはなぜNewtonを超えたのか

マイクロソフトの出資を受け入れたのは、皮肉にもそのタイミングでアップルに復帰したジョブズでし た。そしてアップルは新製品のアイデアの実現へ向けて改めて動き始めました。 iPhoneの製品化は2007 年ですからNewtonの発売から15年後。 全ての技術が大きく進歩したことはいうまでもありません。 しか しNewtonとの決定的な違いはやはりジョブズの存在でしょう。 

 

ジョブズが復帰した2000年前後のIT業界はインターネットバブルの真っただ中でした。 携帯電話も世の 中にあふれていましたし、電子メールやインターネットも当たり前の存在になっていました。 しかしそれ でも、iPhoneをNewtonと比較すると、大きく進歩したデバイスの性能以上の違いがあるように思えま す。 

 

✔︎デバイスの機能と組み合わせたサービスの同時提供 

発売当初からiPhoneにはカメラと音楽プレーヤーの機能があり、 初期から加速度センサーや気圧セン サー、 後にはGPSや指紋センサーなど様々なセンサーを組み込んでいました。これらを使い、 様々な利用 シーンを想定した機能やサービスを当初から提供していました。その結果、 携帯電話や単体の音楽プレー ヤーなどよりはるかに利用シーン、利用時間が増えました 

 

✔︎様々なサービスがコミュニケーションを軸につながっている 

メールだけでなく、 iTunesやSNSといったコミュニケーション・サービスを中核にサービス間を連携して います。 例えばジョギングのためのアプリである 「Nike+ 」 をFacebookのようなSNSに連携させるな ど、コミュニケーションを軸にあらゆるアプリがiPhone上でつながっています 
 

✔︎エコシステムを提供 

GoogleやFacebookにもプラットフォームを提供し、共存共栄のビジネスモデル、すなわちエコシステム を創りました 
 

携帯電話をよく使う人でも通話だけなら1日30分程度でしょう。 しかしiPhoneは様々な機能を組み込ん で、それを利用したサービスと、SNSなどのコミュニケーション機能をつなげていき、ユーザーの可処分 時間をどんどん占拠していきました。 今では、ベッドにスマホを持ち込み、寝ても覚めてもスマホから離れられない生活が 出来上がっています。 

4. 蜃気楼のゴール — 経営者だけが設定できる問い

ユーザーの時間を占有する。 これこそがジョブズがiPhoneの製品化を検討し始めた当初から狙っていた 戦略なのではないかと私は想像しています。 「Macintosh」 がほぼ唯一の製品だったアップルが、 音楽プ レーヤーの「iPod」 を製品化して、iTunesによるコンテンツの配信ビジネスを始めたのは唐突とも思える 展開でした。しかし実はその当時からジョブズはユーザーの生活時間の独占を狙って、 着々と布石を打っ ていたのではないか。 今ならそう思えます。

 

Newtonは優れたアイデアから出発し、製品化への課題を抱えて苦しみました。 ですが、エンジニアと いう人種は10の課題があれば、それを一つひとつ解消していこうとします。 Newtonは当初あった全ての 課題を一応はクリアして世に出ました。 10の課題を解消してエンジニアは仕事が終わったつもりでいまし た。しかし実は、当初は見えていなかった課題を新たにたくさん抱えていたのです。 

 

ジョブズは違いました。 10の課題で足りているのか? それとももっと重要な課題があるのかを考え、 ゴールを設定したのです。 ジョブズが設定したiPhoneのゴールは技術的な課題の集合ではありませんでし た。ユーザーの時間を使い果たす。 それがゴールだとするとエンジニアにとっての課題は、時間とともに どんどん変化していきます。 ゴールはまるで蜃気楼のように遠ざかっていくのです。 蜃気楼のように遠ざかるこのようなゴールの設定こそが経営者の仕事であり、 戦略だと私は思います。 

5. 変わらぬ下心——戦略の本質

ずっと若い頃にある顧客企業の役員からこんなことを聞かれました。 

「あなたのレポートには 『戦略』 という言葉が何度も出てきます。 あなたはこの言葉をどういう意味合 いでお使いなのですか?」 

 

私はこう答えました。 「そうですね、 戦略とは 『変わらぬ下心』 のようなものです」 

下心だからいろいろな人に吹聴するようなものではありません。 あくまで心の中に秘めておくべきで す。 また、 すぐ変わってしまうようなものも戦略ではありません。 いつまでも変わらず、 実現するまで決 してあきらめない。 それが企業や経営者が持つべき戦略の本質です。 

 

アップルはジョブズの下心が秘められた戦略のもと、 企業のあらゆる力を結集して戦いました。「ユー ザの時間を占有する」という下心にたどりついたとき、 ジョブズはきっとマイクロソフトとグーグルの背 中が見えたと思ったに違いありません。 

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世界中のユーザーは iPhoneとアップルのエコシステムにくぎ付けでした。 ジョブズの 変わらぬ下心であった 「iPhone戦略」 はどうやらゴールに達したようです。 アップルは果たして新たな下心を見つけることができるでしょうか。 

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